KAMI VIBES 読みもの(よみもの)占っ(うらなっ)てみる

A LITTLE DETOUR / おまけの読みもの(よみもの)

KAMIとGodは、
どう違う(ちがう)?

同じ(おなじ)「神(かみ)」という訳語(やくご)でも、思い浮かべる(おもいうかべる)世界(せかい)は同じ(おなじ)とは限り(かぎり)ません。
日本(にっぽん)の神様(かみさま)を知る(しる)ために、言葉(ことば)の入口(いりぐち)で少し(すこし)立ち止まっ(たちどまっ)てみましょう。

神様(かみさま)は、一柱(ひとはしら)だけじゃない。

山の神(やまのかみ)様(さま)、海(うみ)の神様(かみさま)、その土地(とち)を見守る(みまもる)神様(かみさま)。日本(にっぽん)では、自然(しぜん)の働き(はたらき)や場所(ばしょ)にかかわる神々(かみがみ)、祖先(そせん)や、亡くなっ(なくなっ)た後(のち)に神(かみ)としてまつられた人(ひと)など、さまざまな存在(そんざい)に手(て)を合わせ(あわせ)てきました。神様(かみさま)を「八百万(やおよろず)」と呼ぶ(よぶ)のは、数え(かぞえ)きれないほど多い(おおい)ことを表す(あらわす)言い方(いいかた)。ちょうど800万(まん)柱(はしら)、という名簿(めいぼ)があるわけではありません。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)も、そのたくさんの神様(かみさま)の中(なか)の一柱(ひとはしら)です。とても大切(たいせつ)な神様(かみさま)として敬わ(うやまわ)れていますが、ほかの神様(かみさま)がいなくなるわけではありません。神々(かみがみ)には、それぞれの物語(ものがたり)、働き(はたらき)、土地(とち)や人(ひと)とのつながりがあります。

三つ(みっつ)の言葉(ことば)を、並べ(ならべ)てみる。

JAPANESE CONTEXT

kami

日本(にっぽん)の神道(しんとう)や神々(かみがみ)の信仰(しんこう)の中(なか)で使わ(つかわ)れる「神(かみ)」を、そのまま表し(あらわし)た言葉(ことば)。人(ひと)の姿(すがた)で語ら(かたら)れる神様(かみさま)だけでなく、自然(しぜん)や土地(とち)にかかわる聖なる(せいなる)存在(そんざい)も含み(ふくみ)ます。

背景(はいけい)ごと伝え(つたえ)たいときに。
CAPITAL G

God

ユダヤ教(きょう)・キリスト教(きょう)・イスラム教(いすらむきょう)などの文脈(ぶんみゃく)では、唯一(ゆいいつ)の神(かみ)を指す(さす)ことが多い(おおい)表記(ひょうき)です。世界(せかい)をつくり、支える(ささえる)存在(そんざい)として信仰(しんこう)されます。宗教(しゅうきょう)ごとに詳しい(くわしい)理解(りかい)は異なり(ことなり)ます。

「たくさんの中(なか)の一柱(ひとはしら)」とは異なる(ことなる)捉え(とらえ)方(かた)。
LOWERCASE G

god / gods

英語(えいご)で神(かみ)を広く(ひろく)表す(あらわす)言葉(ことば)。たとえばギリシャ神話(しんわ)など、複数(ふくすう)の神々(かみがみ)にも使い(つかい)ます。だから「godという言葉(ことば)は、一神教(いっしんきょう)だけのもの」とは言い(いい)切れ(きれ)ません。

訳語(やくご)だけで、信仰(しんこう)の中身(なかみ)までは決まら(きまら)ない。

これは英語(えいご)の一般(いっぱん)的(てき)な使い分け(つかいわけ)です。大文字(だいもんじ)か小文字(こもじ)かだけで、すべての用例(ようれい)を分類(ぶんるい)できるわけではありません。日本(にっぽん)の神様(かみさま)をgodやdeityと説明(せつめい)する翻訳(ほんやく)もありますが、それだけでは、日本(にっぽん)での神様(かみさま)との関わり(かかわり)方(かた)が伝わり(つたわり)きらないことがあります。

数(かず)の違い(ちがい)だけでは、わからないこと。

古事記(こじき)では、神様(かみさま)が困っ(こまっ)たり、相談(そうだん)したり、力(ちから)を貸し(かし)合っ(あっ)たりします。岩戸(いわと)の話(はなし)なら、踊る(おどる)神様(かみさま)、言葉(ことば)をかける神様(かみさま)、力(ちから)を使う(つかう)神様(かみさま)が集まり(あつまり)ます。一柱(ひとはしら)にすべてを任せる(まかせる)のではなく、それぞれの働き(はたらき)が重なっ(かさなっ)て、物語(ものがたり)が動く(うごく)のです。

自然(しぜん)も、恵み(めぐみ)をくれる一方(いっぽう)で、嵐(あらし)や洪水(こうずい)などの怖(こわ)さを持っ(もっ)ています。神様(かみさま)との関わり(かかわり)には、ありがとうという気持ち(きもち)だけでなく、おそれ敬う(うやまう)気持ち(きもち)もあります。「みんな、いつでも優しい(やさしい)キャラクター」と考える(かんがえる)より、さまざまな面(めん)を持つ(もつ)存在(そんざい)として読む(よむ)と、神話(しんわ)も神社(じんじゃ)も豊か(ゆたか)に見え(みえ)てきます。

神々(かみがみ)が力(ちから)を合わせる(あわせる)、岩戸(いわと)の話(はなし)へ ↗

失敗(しっぱい)から、どう進む(すすむ)? 今(いま)の自分(じぶん)と読む(よむ)古事記(こじき) ↗

「神(かみ)ってる」は、むかしからの感覚(かんかく)。

すごいプレーには「神(かみ)ってる」。親切(しんせつ)な対応(たいおう)には「神(かみ)対応(たいおう)」。手放せ(てばなせ)ない愛用品(あいようひん)は「神(かみ)アイテム」。わたしたちは、ふつうを超え(こえ)たすごいものに出会う(であう)と、何気なく(なにげなく)「神(かみ)」と呼ん(よん)でいますよね。

実は(じつは)この言葉(ことば)の使い方(つかいかた)、とても古い(ふるい)感覚(かんかく)とつながっています。江戸(えど)時代(じだい)に古事記(こじき)を読み解い(よみとい)た国学者(こくがくしゃ)・本居宣長(もとおりのりなが)は、『古事記伝(こじきでん)』の中(なか)で、神話(しんわ)の神様(かみさま)や神社(じんじゃ)にまつられる御霊(みたま)だけでなく、人(ひと)も、鳥(とり)やけものも、木(き)や草(くさ)も、海(うみ)や山(やま)も、ふつうではないほどすぐれていて、おそれ多い(おおい)と感じ(かんじ)られるものを「カミ」と呼ぶ(よぶ)、と書き(かき)ました。

「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物(もの)を迦微(かみ)とは云(い)ふなり」

本居宣長(もとおりのりなが)『古事記伝(こじきでん)』より

ここでいう「すぐれた」は、良い(よい)ものだけではありません。宣長(のりなが)は、悪い(わるい)ものや不思議(ふしぎ)なものでも、並外れ(なみはずれ)ていておそれ多い(おおい)ものはカミだと考え(かんがえ)ました。「すごすぎて、ふつうじゃない」という驚き(おどろき)と、おそれ敬う(うやまう)気持ち(きもち)。それが、カミという言葉(ことば)の真ん中(まんなか)にあるのです。

「神(かみ)ってる」「神(かみ)対応(たいおう)」と言う(いう)とき、わたしたちも、ふつうを超え(こえ)たものへの驚き(おどろき)を「神(かみ)」という一言(ひとこと)にこめています。神様(かみさま)は神社(じんじゃ)の中(なか)だけでなく、毎日(まいにち)の何気ない(なにげない)言葉(ことば)の中(なか)にも、ずっと前(まえ)から入り込ん(はいりこん)でいるんですね。

世界(せかい)にも、いろいろな信仰(しんこう)がある。

世界(せかい)には、一神教(いっしんきょう)だけでなく、複数(ふくすう)の神々(かみがみ)を信仰(しんこう)する伝統(でんとう)や、この二つ(ふたつ)だけでは説明(せつめい)しきれない宗教(しゅうきょう)もあります。「日本(にっぽん)の外(そと)はみんな同じ(おなじ)」とまとめず、それぞれの言葉(ことば)や背景(はいけい)とともに理解(りかい)していきたいですね。

FOR READERS AROUND THE WORLD

We call them kami.

Kami are the diverse sacred beings and presences revered in Shinto. They include kami associated with nature, places and ancestors. Amaterasu is one of these many kami, each with particular stories and relationships. The word does not imply a single, all-powerful creator.

このサイトでは、日本(にっぽん)の神様(かみさま)を英語(えいご)で紹介(しょうかい)するとき、基本(きほん)の呼び名(よびな)をkamiにします。一柱(ひとはしら)ずつの物語(ものがたり)と、多く(おおく)の神様(かみさま)がともにある世界(せかい)を、言葉(ことば)ごと伝える(つたえる)ためです。

一柱(ひとはしら)ずつの神様(かみさま)を知る(しる) ↗